人はなぜ生まれて死ぬのか(6)
天理教では、人が死んでもお祝いなんだと驚きました。
今の私は理解できますし、むしろ同じ考えです。
でもその時の私はお祝いなどとは思えませんでした。
身近な同年齢の友人の死で、再び私はなぜ人は生まれて死ぬかを考えるようになりました。
その後大学に籍を置きながら東映京都太秦撮影所の俳優養成所に通い始め、そこでもう一人の女性に出会います。Tさんといって二つ下の人でした。
二人でよく芝居の話をしながら食事をしました。
私が先に時代劇TVドラマの準レギュラーに決まった時にはお祝いをしてくれました。
彼女との付き合いは全く私の片思いで、彼女には私もよく知っている既婚のプロデューサーの彼がいました。
私が東京の青年座に進むことを決めて、彼女に一緒に東京へ行かないかと誘いましたが、その時彼女が「後できっと貴方を好きになる時が来ると思う、でもその時は貴方の気持ちは無いのよね、。」と予言めいたことポツリと言ったのを覚えています。
彼女はその1年後バスルームで、プロデューサーの彼のバスローブを羽織ったまま手首を切って亡くなりました。
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