いつもありがとうございます。
いつの間にやら五月も終わりそうで、
いつの間にか恐ろしいことにもう今年も半年余り、
いろいろなことを初心に帰って頑張らないと、
などと殊勝なことを考えておりましたら、
ある仏教関係の方の若いお弟子さんがふと、
「先生、つまらない質問してもいいですか?」
と、真顔でお尋ねになるので、
「できれば詰まる話がいいですけど、
・・・・はいどうぞ。」
と、何だろうと思い恐る恐る促すと、
「人は、なぜ、神仏の名前を唱えるんですかね。
御経典にしかり、聖書にしかり・・・・、
特に困ったときによく、
自分の信じてる神様や仏様の名前、
呼ぶじゃないですか・・・・。」
私はポカーンとしながら、
「ご自分のお師匠さんに聞いたの?」
「いえ、なんか、怒られそうで・・・・。
まだ、先生の方がマシかなと・・・・。」
「マシとはなんぞや、マシとは!」
普段あまり怒りに無縁の性格なのですが
つい久しぶりに大きい声を出しましたけど、
まあ、あまり根気がないので起こり続けることができず、
持論で悪いけど、あとでお師匠さんから
ちゃんと噛み締めてもらってねと前置きをし、
お話をしました。
これは何も仏道などにいなくても大切な
お話なので、ご参考までにいただけますと
幸いなのですが、
わたくしどもが常日頃何かを成し遂げるとき、
無事に日々を過ごすときには常にエネルギーが必要になります。
でも、叶う可能性があるのにその頑張ったり達成する力が不足をしていたり、
浄化できず何かに邪魔を(外的・内的を問わず)されていると、
それが叶わなかったり、エネルギーが不足し
達成できなかったりします。
それを補うために、有効な手段としての一つが、
「神仏の名前を呼ぶ、唱える」ことで、
実は神仏のお名前はそれ自体にエネルギーがあり、
それを唱えることにより自分もパワーアップや
浄化が出来たりするのです。
これは人にいいことをしたり、微笑んであげたりする「徳を積む」ということに該当し、
このようなことを積み重ねて得たエネルギーは
結局自分に返ってきますから、
難を逃れたり、目標を達成できたり、
面倒ごとに巻き込まれたりする際に回避できたり、
ためたエネルギーを使えるので
普段から神仏の名前を唱えたり、
読経や祝詞を上げている方は
そのパワーを自然と蓄積したり、
場合によってはその神仏と一体化できます。
困ったときにとっさに機転がきいたり
何んとなく自分に声が聞こえるような方も
普段からそのようなことを心掛けていらしたり
ご家族やご先祖が積んでおられた徳分を
そのまま継承している方もいらっしゃいます。
「いざというときの神頼み」、も、
人は困った時に無意識に、
神仏の名前を読んでエネルギー、徳分の補給という点ではあながち間違いではないのです。
私も朝晩守護していただいている神仏等が多いのでものすごく時間はとりますが、
結局は自分のためになるのであまり苦には感じず日々お名前を読み上げています。
それを話すと、
「ああ、それを聞いて朝夕のおつとめが苦にならなくなりました。」
そういってニコニコ話すお弟子さんに、
つい、
「そもそもなんで僧侶になろうと思った、君は?」
と、ついつい冷たく突っ込んでしまいました。
自分を守ってくださっている存在に
心を寄せることは大切ですし、
折に触れご自身が信じている神仏の
お名前を呼ぶときは純粋であればあるほど
通じ合い、思ってもいなかった良い流れに
乗せてもらえることがあります。
あれこれ悩むときや、自分になんとなく
自信が持てないときなど、
いろいろ考えて塞ぐよりも、
神仏の名前を唱える方が落ち着くことがあります。
神仏、ご先祖様、天使は思ったよりあなたの近くにいます。
ただ自分がそのことを忘れてしまっているだけで、名前を唱えることで神仏とつながりその存在に気づかされることが少なくないでしょう。
悩むよりも祈る・・・・、
それが幸せへの近道なることを
お気づきいただければ幸いと存じます。
ちなみに、自分の守護している方が分からない際には
「〇〇(あなたの名前)の御守護神仏・御守護方・御守護天使」
でも宜しいかと存じます。
困ったら人はなぜ神仏の名前を呼ぶのか | 上乃(カミノ)先生|電話占いカリス