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占い師ブログ

親子の会話が少ない…大人になると

紀寧(かずね)先生

2024/04/16 14:35

紀寧(かずね)先生

あなたは子供の頃の「親子の会話」は
多かった方でしょうか?少なかった方でしょうか??

私は『少ない方』でした(~_~;)

そして、私の親は2人ともが、
そこまで自分からお喋りをする人じゃなく、
基本的に家庭での会話自体も少ない方でした。

2人とも外で働いていたので、
疲れて家では話す気にならなかった…というのも、
あったんだと思うんですけどネ。

そして、多くの子供は、
小さな頃ほど「お喋りを聞いて欲しい」
そういう気持ちが強かったりするものです。

そこには色んな理由があるようですけど

・お喋りを覚えるため
・覚えた言葉を使うため
・色んな疑問を解消するため
・人と話すことでつながりを確認するため

どんな理由にしても、
小さな頃の“お喋り”は、
意外と成長してからも役立つものだったりします。

なので、本当であれば。
小さな頃は「親子」に限らず、
色んな人と会う機会を作って話せるようにする。

そういった時間や環境を
作ることが心にも良い影響を与えてくれたりします。

・寂しい
・悲しい

そういった気持ちを薄めてくれる
そんな機会にもなってくれるからです。

ところが、私のように
親子に限らず人と話す機会が
少なかった環境で育つと…。

・寂しい
・悲しい

そういった気持ちを感じた後に、
薄めることが出来ていないので、
成長した後も残り続ける形になりガチです。

私は小学生ぐらいから、
あまり外で喋ることをしなくなった子供だったので、余計にその傾向が強かったようでしたf^^;)

これは、私も気付いていたし、
色々な方法を使って、過去に感じた
私の心の中の「寂しさ、悲しさ」を癒してもきました。

そして、成長する中で。
もともと『人と深い話をすること』が好きだったので、そういった面を磨き続けてきたことで、

人と深い話をすることも、
特別困ったりすることもありませんでした。


ところが、癒しても癒しても、
私の中に「誤解」で癒しきれていない部分が、
まだ残っていたようで。

・本当の私を出すのが怖い

そんな気持ちがまだ残っている事に
最近になって気付きました(~_~;)

ほとんど友達の前でも
私が感じていた「本当の私」を
出せているつもりでいたので驚きましたけど。

大人になった今では、
両親も時間に余裕が生まれて、
「親子の会話」もすることが増えましたけど、

小さな頃は、ほとんど無くて。
記憶に残っている「親子の会話」のほとんどが

・怒られている場面

そんな場面ばかりだったんですね。
しかも、その怒っている内容は、

「そのままのあなたじゃダメ!」

といった内容ばかり。
つまり、当時の私の親は、
私に“変わること”ばかり望んでいたんですね。

それって当時の私からすれば
「本当の私」はダメで、「変わった私」はOK。

今思うと、
そんな感じに思える内容だったんですよね。

親子の会話が少ないと、どうしても
印象的な会話が私のように強く残ってしまいます。
私の場合は「怒られている場面」ばかり…。

他にも下らないような内容でも
会話を色々としていたのなら、
少しは薄まっていたでしょう。

「そう言えば、怒られたこともあったなぁ〜」

そんな程度の記憶で済んだカモしれません。
でも、私の中での記憶は

「そう言えば、怒られてばっかりだったなぁ〜」

そんな記憶の方が強いんですよね。
これも冷静に思い出すと…そもそも会話が
少なかったから『怒られてばかり』になってて。

怒られた回数でいくと、そこまで
何十回と怒られたような状況じゃなかったんです。

癒しきれてなかった
私の中で「誤解」されたままになっていた部分は、

・本当の私を親は嫌ってる(=間違いなく誰もが嫌う)

そんな風に思い込んでしまっていたのでした。
小さな頃に私が感じていた「本当の私」というのが、
どうやら、大人になりきった今でも

・子供の頃のような私=本当の私
 =間違いなく誰もが嫌う

どうやら、そう思い込み続けてたんだな。
…ということに気付けたんですよね。

人と親しくなる途中で、
変に大人ぶっちゃう自分がいることは、
なんとなく気付いていたんですけど。

大きく困ってることじゃないし、
それぐらい普通に起きるものに思ってたんです。

でも「親しくなる」って
意外と奥が深いと言うか…。

・心を開く

そんな状態を抵抗なく出来ている人を
私も改めて観察していると、

「そこまで自分の事を話せてしまうの?」

そう感じることもあったので、
意外と話せていない事もあったようでした。

すごく表現しずらいんですけど。
親子の会話が少ないと、小さな頃は
多感で色々と受け止めてしまいガチなので、

私のように「○○ばかり」という記憶に
置き換わってしまっていたり。

親が何気なく言った言葉でも、

「本当の私=小さな頃の私=誰もが嫌う」

そんな風につなげて考えてしまって、
変な「誤解」を自分の中に作ってしまってました。

しかも、記憶の中の親は。
本当に当時の私を心底嫌っているように
見えていたので…。

癒している途中で思い出した記憶の中でも、
私は思わずその「心底嫌われてる感」を
親から感じて涙があふれてしまったほどでした。

この「心底嫌われてる感」を感じて、
当時の私が誰にもその悲しさを打ち明けずに、
一人孤独に悲しさに耐えていたことも思い出して…

当時の私が耐えることを選んだ
辛さや悲しさに寄り添ってあげることも出来ました。

本当は誰かに言いたかったはずですが。
それが出来るように思える人が身近にいなかったので、私は選ばなかったんですけど。

自分のことだけど、
なんだかケナゲで可愛らしく思えて。
小さな頃から、どこか親の考えと一緒になって

【常に「変わった私」はOK】

としてきた事も思い出して、
小さな頃から、なんてキュウクツな思いを
自分にさせてきたんだろう…と思って。

思わず
小さな頃の私に同情してしまいました(^^;)

思えば、常にどこかで
このことに気付くまで…。

「どんどん理想的に変わっていく私はOK。
 でも理想的に変わらないままでいる私はダメ。」

といったことを
普通に考えていたことにも気付けました。

本当は「どんな自分でもOK」と
思っている自分でいた気でいたんですけど。

不思議なモノで、
頭の中では「○○だと思っている私」だと
思えていても、

心の中では「○○だと思えていない私」がいたな…と感じられる。そんな違いがあるんですよね。

ちょっと、話をまとめてみると。

親子の会話が少ないと、
大人になった時に「悪かった思い出」が
強く残りやすかったりすることがあります。

それは、回数的にいくと、
そこまで多くなかったとしても、
まるで「ずっと○○されていた」ぐらいの
そんな記憶に置き換わってたりする感じです。

そして「悪かった思い出」が、
自分の事を「悪く言われた思い出」ならば、
それを長く引きずって、

・私はダメ

と思う材料にしてしまっている可能性がある。
…ということです。

小さな頃は、私の両親のように
人は「変わってくれたらOK」というような
話をすることが多いですけど。

そこは親心で“良かれ(将来を考えて)”の思いで親も言ってたりするだけなんですけど。

その言葉を「誤解」して受け取ると、
私のように

「変わっていない自分=そのままの自分NG」

そんな風に思い込んでたりする
キッカケにもなっていたりします。

魂さんと話していると、
本当に「どんな自分もOK」と思って
見てくれていることがよく分かるので、

私自身も「どんな自分もOK」と
色んな自分がいても大丈夫と思って
見てあげても良いと思えるんですけど。

親目線や他人目線で
自分のことを見ると、そう思えない事が多いです。
それが普通といえば、普通なんですけど。

この世で生きている限りは、
「どんな自分もOK」と思って生きている方が、

実は『生きやすい生き方』をしている状態に
自然となっていけるものなので、出来るだけ、

・○○の自分だけ(なら)OK

そんな考えは「誤解」と気付いて、
どんどん自分の中から手放していくと良いです♪

ちなみに「どんな自分もOK」と思いながらも、
この世に合わせて生きるためにも

・今は○○な自分で生きる

そんな風にして、
どういった自分で生きるかを
その都度、選び直して生きると。

本当に「どんな自分」でも生きられるようになっていくそうです(^^)
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