よくニュースなどで言われる言葉だ
だがそれは「今すぐ命が危ないということはない」という意味だ
軽症の場合は「軽症」と言われるし、何も怪我がなければ「命に別条はない」という言い方になるが、実は私は30代の頃に友人が交通事故に巻き込まれたことがある
足の骨を折ったので、多分「重症」という表現になるだろう
あまり詳しくは聞かなかったし、本人も「お金なんか要らないから事故になんか会いたくなかった」と言っていた
30代といえば「若い」と言われる年代だと思うが、2ヶ月以上の入院をして体中の様々な筋肉の筋力が落ちてしまい(お見舞いに行った時「たかが入院して1週間で?」と驚くほどの変化だった)その後のリハビリにもかなりの月数がかかったようだ
実は私も小学校の頃足の骨を折って病院に担ぎ込まれたのだが、入院は4週間程度だったがその後のリハビリが痛くて(固まった筋肉を解すマッサージ)毎回泣いていた
だが小学生と成人では入院期間が(骨の成長が)1ヶ月も違うのだと驚いた
もちろん入院は足の怪我だけが原因だったわけではないかもしれないが…
私の時のリハビリを思うと、彼女はもっと辛いリハビリだっただろうと推測できる
私たちは事故なんかで「軽症」とか「命に別条はない」と聞けば、さも何もなかったかのように思ってしまうが、現実はそうとは限らない
例えば重症と聞いても「気の毒に」程度にしか思わないが、実は「重症」と「重体」にも明確な違いがあるのをご存知だろうか?
1ヶ月以上の入院が必要な場合を重症といい(失明や手足の切断なんかも含まれる)、脳や内臓に損傷が起きるなど「命の危険がある」状態のことを重体というのだ
一般的に考えたら手足を失ったり失明したりしたら「その人の人生」が変わってしまう重要な事態だ
場合によっては「生きる気力」を失いかねない事態だ
もちろん「命が助かってよかったね」なのは間違いがないだろうが、本人はそんな言葉に納得できるだろうか?
重症だから「(命が助かって)良かったね」では決してない
命は助かったとしても後遺症が残る可能性もあるのだ
まさに私の友人が言っていた通り「お金なんか要らないから事故になんか会いたくなかった」ということだ
その言葉が真実を語っている
自分の人生はお金では買えない
例え自分が死ぬまで一生分の治療費が支払われたとしても、多額の損害賠償額が支払われたとしても「事故さえなければ自分の人生は普段のまま続いていた」のだ
もちろん良いことも悪いこともあるだろうが「自分で選んで自分で失敗して歩む道」
自分より不幸な人が居るから「自分は幸せだと思え」という話ではない
失敗しても辛いことがあっても自分で道を選んで歩み続けられるという事は、ソレだけで幸せなことだと知っていて欲しい
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